どうでもいい作品

  • 第1話…親父バーグ〜後編


まだ実際のひき肉はこねくり回されただけで、放置されている。


  20分前に家から徒歩2〜3分の公園から肉と共に戻ってきた伊知朗が
 ハンバーグの形を整えだしてもう10分が過ぎていた。
 さっきまでよりもだいぶ近い距離で、ひとりでひき肉を使った
 キャッチボールをしている。
 「あぁ、肉の奴もだいぶキャッチボールが上手くなってきたな」などと
 キャッチボールのことを思い出しながら形を整えていると…


 ぺちゃ。


 …ボールと間違えてわが子の顔にひき肉を投げつけている、というのも、
 この吾籐家の週末、おなじみの風景だ。
 3人家族の吾籐家は、いつからか3人分のハンバーグを作るのに
 6人分の材料を用意するにようになった。
 今は肉の顔がひき肉臭い。


 三度余談。
  吾籐家の一人息子、4歳になったばかりの肉は、週末に友人と遊ぶことはない。
 週の終わりは自分の顔がひき肉臭いことを自覚し、その運命を受け入れているのだ。
 その臭さを他人には広めないようにひとり家でスリラーごっこをするのだ。
 彼は、実はキャッチボールの後に自分の顔に
 ひき肉が飛んでくることをそれほど嫌とは思っていない。
  顔にひき肉がついたまま肉少年は鏡を見る。
 そこには、親が好きで時々見ているホラー映画に出てくる
 ゾンビそっくりな自分がいるのだ。映画の中の人物になれた。
 それは幼い少年の心を激しく打った。
  彼は父親がどこを見ているのか分からない状態から投げた、
 少しカーブのかかったハンバーグになる前の物体を顔に浴び、
 その後母親に新聞社からもらったタオルで拭われるまでは
 映画スターに変身するのだ。
 だから、ひき肉臭いのも、週末ひとりなのも問題ない。
 スターにはひとりの時間が重要なのだ。



戻る。
  伊知朗の妻が何かぶつぶつ言いながら、床に散らばった
 ハンバーグにしたら3人分のひき肉をタオルで拭き取っている。
 肉は落ち、母がまだ取りきれていないひき肉を拾っては
 また自分の顔に塗りつけている。
  伊知朗は、妻が何を言っているかは聞き取ることができず、
 その耳には、4歳になる我が子の「ぐへへへへ」という声だけが残った。


 伊知朗は焼いた時に形が崩れないように、
 伊知朗は親指でひき肉の塊にくぼみをつけた。
 伊知朗はこの瞬間を一番大事にしている。
 ハンバーグの形を整え終えたときにテレビのニュースは
 スポーツコーナーを始めたが、くぼみをつけた頃には天気予報が終わっていた。


 完璧に整えた楕円形の肉塊に自分の指でくぼみをつける。
 そのときの感覚、感触は絶世の美少女にはじめて傷をつけるものに近い、
 と伊知朗は認識していた。
 くぼみをつけるときに、伊知朗はいつも
 はじめて女性の乳房に触れたときのような感覚に陥り、
 毎回毎回生唾を飲む。そのくぼみに自身は吸い込まれそうになるのを、
 いつも必死で抑えているのだ。
 彼はそのくぼみを愛するあまり、
 くぼみに「くぼみロメン」という名前までつけていた。


 「人生とは儚い」
 そうふと口に出しながら伊知朗は椅子に座りタバコに火をつける。
 伊知朗の目線を追ってみると、それは外に向けられており、さらに追うと、
 そしてその目線が当たった先を拡大してみると、
 そこではアリ界の関東一を決める究極の格闘技戦「プアリド」が行われていた。
 戦うアリは皆さんおなじみモハメド・アリ(だじゃれ)で、レポーターは
 アリ賀さつき(こっちもだじゃれ)だ。
 …伊知朗はもちろんその模様を観戦していたわけではなく、要約して言うなら
 遠い目をしていた、ということだ。


 20時過ぎ。
 食卓には3つのハンバーグ。
 囲んでいるのは母子。
 3つのうち2つは子どもの前に置かれている。
 息子は今にも「あどで〜」と言いそうな顔で、嬉しそうにハンバーグを食べている。
 父親は…ひとり寝室で眠りについていた。


 ひき肉とのふれあいこそが世界で最も素晴らしい行為だと信じる男、吾籐伊知朗。
 ひき肉との神秘的な接触を終えた後はもう、食事も忘れるほどの恍惚に浸る。
 自らの手で作り上げ、自らで汚したひき肉。
 生であることが絶対条件であり、そこまでの工程が済んだものに伊知朗は
 もう何のエクスタシーも感じることはできない。
 伊知朗は、熱したフライパンに楕円形にくぼみをつけたひき肉を投じるという
 サディスティックの極みのような行為の後は、
 タバコをふかし、シャワーを浴び、ひとり寝室で眠りにつく。



 現在、妻と離婚を協議している最中だ。
 原因は、セックスレス