raji2006-11-21


涙のふるさと

涙のふるさと


 ユグドラシル以降のBUMP OF CHICKENの楽曲は、
 (それ以前もそれらの印象が強かったわけではないが)
 背中を押すとか、励ますとかいう印象はなく、
 ただ横にいる、事実をおいてこちらの反応を見ている、
 という感覚を味わうような楽曲になっている。


 それは、「がんばれ」などを言って励ます曲よりも
 時に大きな力をこちらにもたらしてくれる場合もあるが、
 その事実がひどく心に突き刺さりどうしようもなくなる、といった
 残酷さも同時に持っている。


 人は、ひとりだ。そこから逃れることはできない。
 周りの何がどう変化を起こしたからって、
 周囲の世界がまったく変わらないからって、
 自分を変えないように踏ん張るのは、変わるように一歩踏み出すのは、
 すべて自分ひとりの力でしかない。
 

 人、もの、思い、様々なものとの別れを選択して
 ひとりになって進まなければいけない時もあるが、
 人がひとりひとり分かれていることによって、
 つながりと言うものに対して希望が持てる。
 ひとりであるという絶望は、繋がることへの希望をもたらしている。



 この「涙のふるさと」も、サビにおいて「会いに来たよ」という
 メッセージを発しているのは自身からこぼれた涙であり、
 自分の心の奥を自分で見つけに行くことを示した曲になっている。
 ストレートでキラキラとした楽曲になっているが、
 やはりそこにあるのは安易なあたたかさや、
 背中を押されるような感覚ではない。
 これを聴いて自分がどうするのか、それを迫るわけでもなく、
 ただ見守ることもなく、待っているような感覚がして、
 頼もしいのだけれど、少し、怖い。