黄昏サラウンド

 今日、上飯田線の車内に入れ歯が落ちていました。どうも、らじです。誰も気づいていなかったのか、そんなたたずまいで入れ歯さんはドア近くにひっそりとおられました。落とされた方はどのように落とし、落とした後はどうしたのでしょうか。
 消費の日。衝動買いの日。本とCDで今日は6千円近く使ってしまいました。雑誌3冊で普通に千円が飛んで行き。3冊とも私には必要な本ですからね。中身というよりかは、読むことでコミュニケーションが多少は良くなるかな、という感じでダラダラ買い続けている週刊漫画誌。年末年始特大号だけチェックのために買ってしまうテレビ誌。そして、昨年の夏あたりから毎月買うようになって私をどんどん青臭くしてくれる音楽雑誌。小説とか、雑誌とか、まぁいろいろな本とかに関して、私は知識とかデータだけ、みたいなのは苦手ですね。人の考えとか、読むことで「人」を感じられるものに寄っていきますね。それを感じるかどうかは私の中の勝手なんですけどね。音楽情報誌、みたいな感じになると苦手な部類に入ってしまいます。
 で、帰り道で中古CDを。やっぱりくるりの「ロックンロール」はかっこいいなぁ。リップスライムの「黄昏サラウンド」は美しいなぁ。
 一月には欲しいCDが大挙して来るのに、大丈夫なんでしょうかね。
 私の中でCDを買うっていうのは、もちろん新たにいいアーティストに出会うため、っていうのもありますけど、どこかで自分の好きなアーティストをより好きになるために他のアーティストのCDを買うっていうのもあるみたいです。とりあえずたくさん拾ってみないと、どれが本当に自分にとっていいものなのか、そこに力強さが生まれない。何故好きなのか、何故すばらしいのか、っていうのを感じたり説明したりする場合には、どうしても相対評価がないと難しいですからね。誰に対しても絶対的なものなんてわかりようがないんで。最終的に「なんとなく好きなんだ」っていう理由にたどり着くのでも、それがその好きなもの一つしか見ていないで好きだっていうのと、百個ものを見てきた上でなんとなくそれが好きなんだ、っていうのでは違いますから。
 ひとつをずっと見ていけるような人は尊敬できます。そっちの方が本当はパワーがあります。でも、それができるのはごくわずかな人で、たいていは怠けて、そこに安住しているだけに見えたりします。そんな、「これひとつだぜ!」ってふりだけをするぐらいなら、もがいていろいろ見て回って、ずっと無理してでもひとつ見続けたいものが見つかるまで、いろいろ見て、触れていければな、と思います。見ているふりだけするのは、本当に怖い。すぐにでもそこに逃げそうな自分はずっといるから、それが怖い。
 だから、自分の中での軸を探すためにいろいろと買っているのかもしれません。軸がなんとなく見えてきたり、来なかったりする程度ですけどね。軸欲しいですね。軸ある人の方が好きですしね。