ふと思う

 「一対一」の時の自分が一番ストレートな、素な自分な気がする。「一対多数」の場合は普通にストレートでも素でもないだろう。ただ、私としては「一対一」の方が、一人でいるような「一」の状態よりもいい感じではないのかな、と思うのである。
 素の状態、っていうのが、本当に何もないグダグダなものである、とするならば、そういうものは、もちろんひとりの時だろうけど、自分でも、何も作らない感じで「あぁ、これが自分だな」と認識できる、っていうのは「一対一」の方なんじゃないかな、と思う。
 あまりにも一人でいると、どこまでが自分かわからなくなるような感覚があると思うんです。違う人がいるから、自分も確認できるし。
 人がいなくて、一人だと、何も出す必要がない、と言うよりかは、出してはいけない環境になりますし。内にこもるとわからなくなりますね。深みにはまって、暗闇から出られなくなる。
 人がいるから照らし合わせることができて、人に対して出すことができて、それでいて、たくさんの比較や思惑には振り回されない「一対一」がやっぱり素直になっているという感覚を得やすいんだろうなぁ、と思うのでした。
 でも、一対一ってなかなかに難しいいですよ。ひとりが多くなりますね。ひとりです。えぇ。