ふと思う

 前にも同じこと書いた気がするけど、書こうかな。
 私たちは自分からの発信で何も「してあげる」ことはできない。そりゃあ、誰かにやってくれと頼まれたりしたら「やってあげる」ってことになりますけどね。自分から「やってあげる」ことなんてないですよ。
 自分が勝手に思い込んでやったことを、人のためとか、そうやって人のせいにしてはいけないですよ。形は何であれ責任転嫁ですからね。変に「人のためにやってあげる」とか思いこんで動いちゃうもんだから、「私はあなたのためにこれだけやったのに、あなたは何もしないのか」とかってことになりますからね。やってくれとは言っていない、それがやっぱり正論ですし、良い意見ですよ。
 何でも自分がそうしようと思ったからしたんですよ。とりあえず相手のリアクションとか考えず、自分がやりたいからやったんですよ。それでいいじゃないですか。
 相手のことを考えて何かをやろう、っていうのは素晴らしい事です。それは本当に。でも、相手のリアクションまで縛ったり求めたりしてはいけないですよね。感謝されればラッキーで、ダメだったら反省して改めればいいんですよ。
 人の反応や行動を予測するのはいいことですけど、それを、自分の中で固めすぎたり、信じすぎては良くないですよね。
 信じるのなら、どんな反応が来ても受け止めようっていうぐらいの、その人自身、全体を信じないとね。
 「やってあげてる」んじゃなくて、「やってる」っていうだけ、だと思いますよ。やってあげられるほど理解しあってても、面白くないじゃないですか。自分は相手のことをこう思ってやってみた。反応はどうだろう?だと面白いですよ。
 これは間違ってると思いますけど、「責任」って言うのも、そういうことと絡んでいるのかなぁ、とも思います。
 よくわからないですね。って締め方は反則ですか?