ダイノジのキスで殺してくれないか

成績表をもらいにとか、演出局会とかで大学へ。みんなでひとつになって作るということは、みんなで同じことを考えるのとは少し違うかなぁ、と。そこは考える考えないの違いではなくて、役割分担として効果的かどうかという話で。船頭多くして船山に登る。脚本家多くして話難しくなる。否定しているわけではないんです。この話は実作業の部分が大きいですから。よい最終形のために、同じ目標のためにそれぞれ役割を分けて一生懸命個々でがんばって考える。みんながひとつには絶対になれないです。たくさんの人間が、ひとつの思考しかできないひとつのものになるのは気持ち悪いです。ただ、人が集まってひとつのものをつくりだすことはできます。それぞれ別の意志で、同じひとつのものをでっかく作り上げることはできるし、すてきなことでやんす。ひとつになろうとすることはまぎれてしまうことで、一つのものを作ることは集約、結晶化することで。
 それぞれが自分で考えて、自分のルートを渡る結果人と同じゴールにいたる、っていうほうがみんなでひとつになって同じルートを行こうよ、ってのよりもカッコいいですよね。ルートのない人間はもってのほかですが。
 ほんと、どこかの歌詞のように「ひとつにならなくていいよ 認め合うことができればさ」な感じです。


とにかく、今日はキスころの最終回。心して楽しみますよ。