おやすみについて

 おやすみなさい。釈由美子でいうところの「お生きなさい」みたいな感じである。お互いに「お前が休め」論争をした後に、互いが眠りについていくのである。「私の中でお眠りなさい ホニャヘニャフニョ エ〜ジャ〜」…ジュディ・オングである。なんか優しいんだか怖いんだかよくわからなくなってくるのである。しかもたいていの場合が睡眠に向かう人のほうが「おやすみなさい」という言葉を発する。これは何なのか。「俺がこれから寝るんだからお前も寝ろや、コラァ」というなんかそういう、睡眠時間のジャイアニズムなのか。もしくは、「僕はこれから寝るんで、ぜひとも『お前休め、英語でしゃべらナイトを見るまもなく休め』と言ってください」みたいな、そんな少しマゾヒスティックなノリでとりあえず自分から言っているのだろうか。そんなことは無い、確実に無い。
 単に「おやすみ」とも言う。単語のみである。「メシ・フロ・寝る」、とか、
夫「新聞」
妻「新聞がどうかしたの?」
夫「新聞をとってくれと言っているんだ!」
妻「あら、『新聞』だけじゃわからなかったわ。新聞に話しかけているのかと思った。」
…いや、なんでもない。それよりも気になるのは、「おやすみ」における「お」というものの存在である。どうやら、「やすみ」というものは「お人形」とか「お父様、お母様」とかなんか偉かったり、かわいらしかったりするらしい。「オリコン」とか、「オースティンパワーズ」とか…。とにかく「やすみなさい」とか「やすみ」だけだと、なんだかぐっすり眠ることはできないような感じがするのは確かだ。だから、密入国船の中とかで寝る場合は、狭くて硬そうだからきっと「お」なんて付けずに、「やすみ」とかだけだ、絶対。いや嘘だ。
 病気で寝込むときも「おやすみ」はあまりない。「ちゃんとやすんで治しなさいよ」、である。病気のときに寝るのは割と当然であって、ありがたくないので「やすめ」である。
 健康なときに寝る、休むのだからありがたく、かわいらしいから「お」なんかがつくのである。
 そんなこんなで私は「おやすみなさい」という言葉がなんか好きである。健康なのに寝る、そんな贅沢のために「おフランス」みたいな「おやすみ」になる。「おやすみなさい」を語尾に付けてしゃべってもいいぐらい好きだ。これも嘘だ。
 ただ、「おやすみなさい」が好きなのでひねくれていろいろいたずらして書いてみただけなのである。
 ということでみなさん、おやすみなさい。

    • 書き方みたいなのは割とイメージして真似てやってます。中身はパクリにならないように気をつけてやっております、というか自分の頭の中から引っ張り出したものですからねぇ、どうともならんです。