泣けない自分

 来週のミュージックステーションに、
 U2とオセロの松嶋尚美率いるバンド、キラーズが出演!
 いいの?
 どうも、ラジです。
 アーセナルFC岐阜の競演のような感じですけど、いいの?


  そんなこんなで、
 「涙のふるさと」を聴きながらふと思ったことを。
 自分、泣いてないなぁ、泣けないなぁ、と。
 

 はてなのブログだったり、
 最近ではここでの「木更津キャッツアイワールドシリーズ」の話の時だったり、
 度々「泣きそうになった」という表現はするし、
 その時は実際泣きそうにはなっているのだけれど、
 どうも、泣くことができない。


 明確に泣いた記憶があるのは、
 幼い頃に水泳教室に行くのがイヤで(嫌な理由はおぼえていない)
 プールのある建物の前で母親が引っ張る手と
 逆方向に進みながらぎゃーぎゃー泣いたとか、
 そういう子供のときに泣いたやつ(写真撮られるのもイヤで泣いてたっけ)と、
 一度、彼女と別れるときに彼女といっしょに
 厳かに泣いたとか、それぐらいしかない。
 あとは、自分の部屋で「ユグドラシル」を
 聴いて泣いたこともおそらくあったと思う。
 でも、それぐらいしか、記憶にない。



 特に理由はないのだが、泣きたいし、
 正直な話をすると、度々泣こうとはしている。
 ブログにも度々出てくる「泣きそうになった」ものたちを
 観たり聴いたり体験している時には、
 あとあと書くときに「泣いた」っていう方がインパクトもあるだろうし、
 自分も泣きそうなぐらい感動しているのだから、
 努力して泣こうとはしているのだけれど、
 どうも目から涙はこぼれてこない。


 「木更津キャッツアイワールドシリーズ」のときでも、
 ものすごく心に響いて、目頭が熱くなり、
 「あぁ、感動している。ヨシっ!オレ、泣けっ!」と
 応援していたのにも関わらず、
 映画が笑いも含めてきている性質、というのも含めながらではあるが、
 目に涙がたまるぐらいで泣くことなく終了してしまった。


 他のドラマでもドキュメント、泣かせたいやつど真ん中、観たいな作品も、
 見たら見たで泣きそうになるんだけど、
 そこで「泣け!オレ!」と必死に応援するんだけれど、
 どうも、泣くところまでいってくれない。



 なんだか、「泣けない」っていうところで
 人間として損をしている気がしてならない。
 多くの人が泣くようなものを観て
 泣くことはできなくても同じくらい感動はしたらいい、のかもしれないけれど、
 そうではなくて、そこから泣く、ということに意味があると思う。
 「泣く」という「行為」に持っていけてこそ、だと思う。
 だから、なんというか、損と言うか、そう、
 オイシくないのだ。泣けないことは。
 「泣いた」ってことはネタにもなるし、インパクトとして強いけれど、
 「泣きそうになった」どまりではどうしても外に対してそうだし、自分にとっても
 なんだか不完全燃焼なのだ。
 (「木更津キャッツアイ」の泣きそうで泣かせなさは、
  それはそれでまた最高ですが)


 だから、泣きたいなぁ、と思っているのだけれど、
 何か、いい泣けるものないですかね。
 たぶん、泣きたいと思っている時点で問題があると思いますが、
 でも、泣きたいです。


 今日は、こんな感じで。
 今日はmixiの日記と同じ文章でした。
 2,3日に一度は同じ文章になってますが、あとは別のものにしてます。
 どちらも読んでいただけないと寂しいし、
 書いている意味もないので、ぜひ。



 では、また明日。