ふと思う〜12月25日

 クリスマス、一年の終わりのこの時期。
 なんでも、終わりっていうものはきれいに締めたいから、クリスマスっていうのも、にぎやかに、お祭騒ぎみたいな感じで過ごす。
 
 学校の卒業式にみんな何かしら特別な感情を持ってみたり、卒業旅行とかでにぎやかに、祭っぽくしたくなるとか、子供の終わりの成人式とか、独身の終わり、結婚式が派手だとか、そういう感じで、1年の終わりってことで、年末は騒ぐし、その流れでクリスマスもおおはしゃぎ。


 なんでも、とにかく終わりっていうものは、騒ぎたくなるんだろう。はしゃいだりしたくなるんだろう。ま、終わるって事は、離れるとかって事と近いから、ね。
 2005年っていうやつと300日以上もやってきて、2005年といるのが普通だったのに、2006年ってやつが近づくにつれて、2005年といるのも普通じゃなくなるから、どうにかしようと騒ぎたくなる。
 今まであの人といることが普通だったのに、終わりが近づいていることが普通じゃないってことに気づくとき、離れる前になんとか自分の中に残るように、って大きいことを、急にし始める。終わることは、当の昔に知っているのに。ま、そういうものだよね。


 …よく考えたら、人って、生まれるときより死ぬときの方が派手だよな。
 赤ん坊のときにもお祝いはされるけど、お葬式の方が確実に規模が大きいよなぁ。
 どうなんだろう?あれって、送り出すってことよりも、自分たちの中に残すためにやるんだろうなぁ。だから、派手に、豪華に。



 個人的には、1年の終わりって、特別「終わり」っていう感じがしないから、年が変わったからって「始まり」って感じもしないから、騒いで何かを残す、っていう必要もなくて。なんだか、周りにおいていかれた感じで淡々としています。
 それは、彼女がいないとかも、もちろんあるんだろうけど、いたとしても、その、1年ってものに対しての感覚が薄いから、テンション上げきれなくて、結局置いていかれるんだろうな、って思います。
 なんだか、人より節目ってものが少ない奴だから、いろいろな面で損してる気がします。周囲の方々が「これが終わりだ、区切りだ」って思っているものに対しても、「続きがある」とか思ってしまっているので、なかなかスイッチも入りきらなかったりしてしまったり。だから、うまいこと輝くこともできなかったり。ま、いざそういうときに自分が輝けるかどうかもよく知らないんですけど。
…とわけわからない自分の話になってしまいました。
 とある曲に影響されながらも、自分から出てきた言葉でした。