よく書いてる感じですが…

 自分で決めたことを、自分で決めたことだからやる、ということが大事だと思います。「やらなきゃいけないから」、これは一個人の話の場合のみ通用するものだと思います。自分が「やらなきゃいけないから」と思っているからって、人に「やらなきゃいけないからやれ」って言うのは大きな間違いだと思う。同じ場所にいるからといって、誰もが「やらなきゃいけない」という共通認識はない。あくまで「やらなきゃいけない」というのは自分が思うことで、はじめから存在していたり、押し付けられるものではない。
 押し付けられた「やらなきゃいけない」をそのまま流されて自分の「やらなきゃいけない」にしている人も。自分で、流される、ということを決めただけで。やらされるということも自分がそれを許してそうするように決めてしまっただけで。でもそういう人はつまらないですよ。中身がすっかすかですもんね。
 なぜ「やらなきゃいけない」のか。前に言っているとおり、それは個人の問題で、「やらなきゃいけないからやれ」は言われた側にとっちゃ「なんのこっちゃ」である。誰にも共通するようなことは、「腹減るから、食わないと死ぬから飯は食わなきゃいけないよね」とか、「呼吸はしなきゃいけないよね」とかのレベルしかないですよ。
 楽しいからやる、それが大事なんだろうな、やっぱり。自分がやると決めたことだから、いかに自分が楽しむか。人に何かやって欲しいなら、それがその人にとって楽しいと思えることなら、その人はそれをやろうと自分で決めてやるだろう。人にいかに楽しいことだと思わせ、実際に楽しませるか。
 楽しいんだったらやらなきゃ、楽しいからやり続けよう、自分でやり続けると決めたものだから無理矢理にでも楽しもう、そんなことですよ、しょせん。
 自分で何かやる場合なら、自分でちゃんと決断してやる。人にやらせる場合、やってもらう場合でも、その人自身にそれをやることを決断させるような形をとる。そうじゃないと、結局苦しいだけですよ、ちゃんと楽しめない。腹割ってないってことですからね。「やらなきゃいかんのだろうなぁ」そんな感じでいろいろやりたくないなぁ、それはつまらない人間だ。人とともに何かやる場合でも、「やらなきゃいかんだろうなぁ、やらなきゃいけないらしい」みたいな感じでやってもらうようにはしないようにしたいなぁ。そこに楽しさはうまれませんよ。
 自分で決めて、楽しさをつくりだして、人にも楽しさを伝えて、楽しさを与えて、その人自身も何かを決めて、楽しさを生み出し、またそれを人に伝えて…。広がって、また自分にも大きな楽しさがどんどん…。
 以上、テキトーな夢物語(?)でした。