私と物欲

 私がCDとかをレンタルショップで借りるのではなく買ってしまうのは、自分の身の回りの方たちにも広めたい、伝えたい、という感情を持ってしまっているからなのでしょう。身勝手な大きなお世話が巻き起こるからでしょう。自分の中でとてもよかった、という形での自己完結をどこかで嫌っているのでしょう。同じことを感じろとは絶対にいいませんが、同じことを感じるような人間は別にいいや、と思っているのですが、同じように「いいものだ」というようには自分の近くの誰かと共有しておきたいのでしょう。
 誰かとなにかを共有するための接点が欲しいでしょう。「誰か」は遠くにいる、尊敬する芸人の方やミュージシャンの方でもあり、自分の周りにいる人たちでもあるのでしょう。受け取る形で共有し、伝える、与える形で共有する。
 最近は人と何かを共有できている感じが少ないです。物とかではなく、そこからまた一歩踏み入ったところというか。共有というか、相互認識、相互理解ですかね。時々、人の目は内側、内向きについていて、みんな自分しか見れなくなってんじゃないか、と思うこともあります。
 物欲とだいぶ話がそれてきましたが、私はなんとなく、誰かや何かや、世の中のいろいろを認識したり理解するために、また、いろいろな誰かとつながるために、その簡単なルートとして、可視である物を買うという行為にいたってしまうんでしょう。たかが物、されど物です。
 人を理解するため、自分を理解してもらうため今日も私はサイフと取っ組み合いの大喧嘩です。
※もちろん、単に自己満足で買うのも大いに含まれているので、あしからず。かっこつけも多く、言い訳もたくさんです。


 また文章がわかりにくくなっていっている…、わかりにくい人間なんでしょうね、きっと私は。