今日したこと

  • ついに名混活動再開。前日述べたとおりの、少し尊い感覚をあまり意識はしないままもって臨む。楽しい。それは自分が楽しもうと思ってやっているから。まとめて行く側に楽しんでもらおうという意識が感じ取れるから。長いことやっていながら技術がどうとかを言えないのは、ダメなことであるし、恥ずかしいことでもある(言い訳:ゼロではないですよ、少しは、まぁ、ね)。精神論を逃げ道として用いている部分もないとはいえない。ただ、精神論も大事な部分もありますからねぇ、という言い訳。やらされているわけではない、というのは確かだが、自分たち一人一人がやる、というのも当たってはいない気がする。「一人一人が…」という意識は持っておくべきではあるけれどもね。さまざまな中での相互作用がたくさん働いているわけで。すべてが一緒なわけでもないわけで。受身がダメであるとは思わないし。確実にそこには発する側と受け取る側があるのだから。すいません、この文章がぐちゃぐちゃなのはわかっています。でももう少し続けます。受け取る側はベストな受け取り方を考えればよいわけで。相手がどういう心持ちで発しているかをくみとれれば受け取る側も受け取るスタンスを決められるわけで。たとえ技術的なアドバイスがそこまで深くくみとれなくても、楽しくやってもらおうと考えて言っている感じだな、とかは気にすれば感じ取ることはできて。「楽しい」ということは両者にとって利益であるから、受け手はその意を汲み取って楽しいようにやれば、発する側にもそれは伝わって相乗効果も生まれるわけで。支え合いとかは、実際にやるとかもそうだけど、気分がダメなときとかもそうだけど、日常より楽しむためにも支えあうことはできるわけですよ。支えあうために自分がその中でどういうポジションか知って、そのポジションでの理想形やすべきことをするのがやっぱりいいと思うんですよ。みんながみんなホームランバッターでもいい試合はできないわけで。自分のポジションが、自分の仕事は何かをわかって、それを誰もがやることで打線のつながりが生まれて、いい試合ができるわけで。一人一人とか考えるのは、「臆するな」とかそういうことであって、ある集団の中の一人一人はそれぞれ役割も違うのは事実で。差別はいかんことだけれども、部分部分やることは違うので区別して考える、動くというのは大事ではないかと。
  • この日何かあったわけでもなく、名混という団体がどうであるとか言うわけでもなく、頭から出てきたことを出てくるままかいてしまったまでです、すいません。途中で話が変わってたりもしますが、一応うそは意識的にはついてないので、すべて本当に思っていることなので。あとは読まれる方がそれぞれ「ケッ」と思うなりなんなりしてください。
  • 練習後、某会合へ。ちゃんとやるべきことはやる。ちゃんと言えなかったことに少し後悔。あとはべつに書くようなこともない。自分は変な人間なのだろうと再確認。