ふと思う〜4月9日


 世の中には様々な人がいる。
 気が利く人、かっこいい人、ペットボトルのフタを開け忘れたまま飲もうとする人、
 ロッテリアマクドナルドのクーポン券を出してしまう人、
 間違っているのに気づかずそれを受け取る店員、
 なぜかロッテリアから出てくるてりやきマックバーガー
 その中に挟まっている牛肉を育てるために脱サラしてオーストラリアに渡った男、
 それを影から見守るオーストラリアの羊、
 その羊を育てていたのではなく、羊に勝手に家に押し入られたのに、
 それを歌にして、大ヒット、全世界で70億枚の大ヒットを記録、
 家にはプール8個、トイレが和式7個、洋式1個、茶室が120個の
 大豪邸を建てたメリーさん。


 というわけで、昨日書いたとおり、栄のHMVに行ってきたわけですよ。
 そこには様々なジャンルの、多くのCDがあるわけで、
 そこにはそれぞれの好きな音楽を手に入れるために、純粋に音楽が好きな人、
 栄をふらつくカップル、仕事途中(終わり)のサラリーマン、
 多種多様にわたる人がいるわけです。
 ただ、そんないろいろな人がいることは分かっていても、
 あまりCDショップではそれを気にすることがないのです。それはなぜか。
 そういうところにいくと、自分の好きなものを物色しているために、
 他の人を見るところまでいかない、というのがあります。
 あとひとつあるのが、商品の棚の配置です。CDをいろいろと見て回るとなると、
 目線は胸元よりも下になるわけです。
 ストライクゾーンより下にしか目線は行かないわけです。
 危険球には気づかないわけです。
 そういうところでは人の顔を見ることもないので、さしてどんな人か、って
 気にすることもないわけです。


 ただ、そういったところでどんな人なのか気になることはあります。
 胸元より下でも視界に入ると気になることはあります。
 それは…胸が大きいとか、そういうことではなくてですね、
 他の人が手に持った商品が気になったりするわけですよ。
 自分の好きなアーティストのCDを手に持っている人が気になるのはもちろん、
 様々なアーティストの大量のCDを一度に買おうとしている人、
 某アイドルの同じCDを手に持っている人、などがいたりして、
 そういった手元がふと気になってしまうと、
 どんな人なんだろうな、と顔まで視線を上げて見ることになるんですね。
 それで、「あぁ、やっぱり」とか「がっかり」とか思うわけです。
 自分もCDを購入しているようなアーティストを買っている人が
 ルックス的に自分と同じ方向性だったり、それでいてかっこよかったり、
 可愛かったりすると、いかに誰にも影響を受けず「自分の音楽が好きだ」って
 言い張っていても、人を見ることで「あぁ、自分は間違っていなかったんだな」と
 思えます。また、自分があまり買おうとは思わないアーティストのCDを
 購入しようとしている人を見て「あぁ、違うな」とか思うこともありますし。
 逆に人を見て、自分と同じで凹んだり、自分と違うものを買っているのを見て
 そのアーティストに興味を持ったりもします。


 そんなこんなで自分がどれを買おうかをメインにうろうろとしている中で
 人のこともああでもないこうでもないとちょろちょろ観察していると、
 そこに気になる人がいたわけです。
 自分がドーピングパンダという現在すでに人気で、これからさらに飛躍が期待される
 アーティストの1stアルバムを気にしていると、そこに颯爽と現れたひとりの人間。
 …手には、昭和の日本を代表する大歌手、美空ひばりさんのDVD。栄のHMV
 という立地条件などからすると、
 そのDVDを手にしているだけでも十分にどんな方かを気にするに値する状況です。
 だってその店舗で大々的に出ているのはKAT-TUNのCDだったり、
 倖田來未のベスト盤だったりするなかでの美空ひばりですよ。
 高橋由伸や福留がいる中で王がユニフォームを着ているようなものですよ。
 すごいことはすごいけど、どこか違うわけです。
 しかもその商品を持っている周辺に見ることのできる容姿は、
 なんとミニスカート。そして、デニムのジャケット。
 自分がファッションに疎いせいで具体的な描写ができないのが悔しいですが、
 なんというか、今どきのギャルのような恰好をしている方が、
 美空ひばりのDVDを手にしていたわけです。
 こんな状況に出会ったからには、自分の視線を上げて、どんなお顔かをひっそりと
 確認せずにはいられないわけです。
 容姿の整った若い女性であれば、「あぁ、まだ日本の未来も捨てたものではないな」
 と思い、新しくはじまる土曜ドラマギャルサー」への興味も湧くというものです。
 これはある種、(自分の中だけの)世界が変わる瞬間、
 新たなムーブメントを予感させる瞬間でもあったわけです。
 
 
 そんな新しい世界を目にするのを前にして、自分の観察に対する集中力は
 増していくわけです。今まではただ「ギャルっぽい人」という程度の把握から、
 少しずつ目の中、頭の中での描写の精度が短時間のうちに上がっていくわけです。
 今まで見ていたあたりをより詳しく見ると共に、
 徐々に目線が上がっていくことにもなります。
 手にあった美空ひばりのDVDはおそらく東京ドームの(ライブではなく)
 コンサートのDVD。手にした商品は胸に抱える形ではなく、
 持ったまま手を下げている形なので、自然と足の辺りにも目がいってしまう。
 足は、多少肉付きがいい感じ。若い子はまだまだ運動もしているので、
 筋肉もついていたりするんだろう…


 …あれ?でも、何かがおかしいぞ?どこかが違うぞ?
 ある疑問点が浮かび上がってから、自分の胸は高鳴りだす。
 亜空間に入り込んだような、見てはいけないものをみてしまっているような
 感覚に襲われる。しかし、もうそこから逃れることはできない。
 最後まで自分は見届けなければいけない、とその人はどういう人かを、
 すでに自分の中での正解を持ちながら、視線を上げていく。
 自分の顔が上がってくと共に、自分の中が描いた不安は間違いではなかったことが
 示されていく。
 商品にばかり目を奪われていてあまり把握していなかったその手の肉付きが少なく、
 手の甲には骨が筋のように見えている。体はいかにも頑丈そうであり、
 背丈はその近くにいたオシャレと呼ぶにふさわしいような、
 女性に人気のありそうな背格好の青年と同じくらいある。
 …最後に顔を見てみる。
 そこには、女性特有のある程度の肉付きのある丸みを帯びた輪郭はなく、
 角がたち、骨の太さが分かる輪郭と、ヒゲの剃り残しがあった。
 そこで昭和の歌姫のDVDを買っていたのは、ストッキングをはき、
 女性の格好をしていた、「そういう方」だった。



 すべてを見届けたあと、なんとなく、あぁ、その人がその商品を買うのは
 納得がいくなと思い、心の中で両手をぽんと叩いた。
 あぁ、春だなぁ、と思った。
 …ほんの数秒の出来事にこれだけの文章を書いている、
 そんな休日はどうなんだろう?と思いながら、再び思う。
 

 世の中には、様々な人がいる。