ふと思う〜12月7日
たいていの場合、「歩き出そう」なんてことを考える暇なく、人は歩き出している。
「一歩踏み出そう」とか、そんなことを言う前に人はもう何歩も踏み出している。
外に出ることも普通だし、何もしていなくても、誰かに何かを伝えているし、
触れる事だって、難しいことじゃあない。
でも、なんで、それがなかなか難しいことになって、いろいろな曲になったりするんでしょうね?
…やっぱり、難しいんでしょうね。
歩いていても「歩き出せて」はいない。
踏み出したいくつもの足跡は、本当に踏み出したいところからは逆方向かもしれない。
外に出ても気持ちは表に出ないし、何をしても本当に伝えたいことは伝えられないし、触れたい人には触れられない。
と、なんとなぁく。