今日の出来事

 自分の体力が早くもこの歳で落ちてきていることに気づき、なんとも困る。何が困るって、大学での講義2時限、つまり3時間をしっかりすごせなくなってしまったのである。世の中にこれほど大変なことはない。



 講義というのは、一般的に睡眠学習である、ということはよく知られていることで、前に立つ人間は学生を眠りに誘うために子守歌を歌い、白い板などに呪文や何かの紋様を書くか、白い幕に映し出すなどをする。
 この場合学生としては、おとなしくその睡眠導入に引き込まれて机に突っ伏し、無事睡眠学習に入る。また、睡眠という段階に踏み切ることができなかったアンラッキーな人々は、何らかの催眠状態に入って目の前の呪文やら紋様やらを一心不乱に書き写す。
 たいていはこの2種に分かれるのだが、世の中には、眠ることも催眠状態に入ることもできないような、人に心を許すことのできない、頑なに心を閉ざしている人間もいて、その人たちはそういう人々同士で、心を開くことができない、ということを表層的に話したり、自分勝手なトランス状態に入ってその場とは関係のない書物を読んだり、別の呪文を書くのに必死になっていたりするのである。



 講義というミサについての説明が長くなった。で、私はどうなのか、ということである。
 講義で前に立つ人間は一流の子守歌の歌い手なので、私も最初はその1/fの揺らぎによって眠りに誘われ、睡眠学習に入ることができる。が、しかし、大学も4年生になると、それはもう、おじいちゃんである。ご老人といえば早寝早起きである。起きているのに疲れ、日が沈むころに寝たかと思えば、今度は寝るのにも疲れて日の出るよりも前に起きてしまうのである。そんな老人なものだから、睡眠学習に入っても、道半ばで引きずり戻されてしまうのだ。この歳で講義という修行の中で最も位の高い睡眠学習、というものに苦労するようになってしまった。



 睡眠学習に入ることができない場合、その前段階の催眠状態でやっていくことはどうか、それもダメなのだ。催眠に持続的に入っていくには、講義開始当初から入っていないといけないから。子守歌の歌い手は、人を眠りに誘うことが第一の目的で、催眠するのは順番からいくと2番目であり、眠りに入れない人の救済措置である。当初からいるような熱心な信者でありながら、眠りにつくことのできないものへの救いの手として、一応連続で催眠しているのであって、途中から催眠に入ろうというのは、非常に難しい。
 何より、一度睡眠という高尚な世界にたどり着いてしまうと、催眠など、呪文の書き写しなどできなくなってしまう。



 睡眠も催眠もダメとなると、他の講義の事をやるか、まったく別の読み書きを、という自らの内に入っていく作業となるが、これも今の私にはなかなか難しい。まず、歳なので他の講義、というのもなく、そういう時間のつぶし方ができない。で、まったく関係ないものとなると、最近の私はカネがなく時間が割とある、という感じなので、講義用のそういったアイテムまで回るものがない、ということになって、ついにはすることがまったくなくなり、途中で飛び出してしまいたくなり、講義2時限の前半のみでこの支配からの卒業、ということになってしまうのだ。
 本当に、体力がなくなってしまうというは困り者だ。




 …、とか何とかいいながら、一応昨日「ちゃんと講義に出よう」とここに書いたので、前半だけで一度出た講義室に戻って、後半はこの文章を書いていたのでした。てへっ。