今日の出来事

 テキトーに気を抜いていると今日買ってしまった町田康さんのような文章の書き方になりそうなので、そこは気をつけてそうならないように書いていこうと思います。
 といって何か書くべきこと、っていうのもなく、郵便局に書いたものを出しに行き、ついでに本屋に行ったら雑誌を1時間以上立ち読みしてからはじめて町田康さんの本を買ってみた、っていうぐらいの一日だったので、特にどうだ、というわけでもない。




 それにしても、何度も何度もいっているように、本当に欲しいものが多くて困る。別冊カドカワはゆずだし、クイック・ジャパンは木村カエラさんが表紙で1万字インタビューだし、ラルク・アン・シエルはAWAKEだし、レッサーパンダ風太だし、親方はテレビに出すぎだし、ばらいろのポップだし、来るメールは迷惑メールばかりだし、Mr.Childrenもニューシングル出るし、木村カエラさんはライブDVDだし、だしといったらだしの素、諸行無常の鐘の音、ジョシュ・ハートネットが誰だかよくわからないのである。
 欲しいものが今現在たくさんあるが、まだ一応若者なので、欲しいものだけではおさまらない。ちょっと興味があるものは欲しいもの以上に溢れているし、新しいものを発見して急に欲しくなることもたくさんある。過去のものを掘り出して買いたくなる時もある。ただただ情報収集のためだけに普段買っていない雑誌が欲しくなることもよくある。アルフィーの高見沢さんのギターが一周して「ギター型のギター」という、結局は普通のギターにたどり着くのを心待ちにする。急に昼ごはんを豪華にしてみたくもなる。
 とにかく、お金がかかって仕方がないけど、お金がなくて仕方がない。ひとりでいると、ひとりの時間をいかに充実させようか、ということを考えるために、そのための装備として「欲しいもの」がドンドン増えていくし、「買い物をする」ということもひとりの時間を満たす行為に当てはまるから、ひとりの時間が多いとお金が飛ぶほうに意識が強く向いていくのである。
 これを抑制するためにはどうすればいいのか。人といればいいのである。人といれば、とりあえず時間はつぶれるので、充実のための手段を欲することもなくなる。そして、「何かが欲しい」と話しているときでも、それを話していることで、結局買う時間がなくなったりで、なんだかんだでお金を使う時間は減る。引きこもりは稼いでもいないのにひとりでいるからひとりの時間の充実のために消費は増えるが、金持ちの社長さんなんかは人と会う機会ばかりだからケチになるのだ。


 で、ようは、寂しいんでしょうね、といういつもどおりの結論になるみたいです。お金で人がいない寂しさは埋めることができるけど、人はお金では買えない、という当たり前の話があり、お金もないとなるとそれはそれは寂しい、という感じになりました。「寂しい」と放つ声はただただ闇に消えていくだけだということに、気づいていても吠え続けている感じです。それはきっと日常の騒音でしかないのだろうけど。
 と、延々「ハイブリッド レインボウ」を1曲リピートで流し続けた本日でありました。歌詞が非常に強い。
 明日はちゃんと講義に出て、ミュージックステーションを見よう。