ふと思う。今日買った本を読んで。

 面白いことっていうのは、現実から、もしくは自分から離れてるってことだと思うんですよ、単純ですけど。離れてるというか、ズレてるというか。
 何に関しても、やっぱり自分と離れてるから面白いんですよ。そのもののジャンルによって、離れる距離とかが違って、ジャンル別で一番面白いと感じる距離が違うんでしょうけど。スポーツとかに関しては、離れていれば離れているほど面白いんでしょう。難しいのは、「お笑い」ですよね。離れすぎていてもいけなくて。でも離れているのは面白いものには必須事項で。微妙な距離をとっていかなければいけなかったりするから難しいですよね。
 単純なところでいえば、話の「間」とか、タイミングとか。単なる中身はぜんぜん面白くないような情報だけ、みたいなものでも、人によっては面白い話になる。それはやっぱり「間」とかタイミングが少しズレてるから面白いと感じるんでしょうね。まぁ、当然中身が面白いっていうのも、単なる情報とはかけ離れた何かがあって面白いんでしょうし。
 会話とか行動における「引き出し」とかでもそうですよ。引き出しが人よりたくさんある人は、人から離れているから面白いと感じて。ただそこも、人からズラせば面白いのなら、人と引き出しの数が同じでも、人より少なくても何とかできることがあって。ある引き出しをあえて開けない、とか、開ける速度とか、引き出しの中身の出し方(一気に、少しずつ)とか、そこをちょっと工夫するだけで面白さ、っていうのは生み出せる気がします。新しいのが、誰もが知らないものを出すと面白いのは当たり前で、ありふれたものをどうズラして面白くするかっていうのが工夫のしどころだとも最近は思います。
 で、ズラすためには、ちゃんと最初は普通の位置にいなきゃいけないなぁ、と思うわけですよ。普通の感覚がなきゃ、現実とどうやってどの程度離れているかわからないから、何が面白いかもわからなくなりますからね。ズレっぱなしの人だと、自分か見てる側かがそのずれてることに慣れちゃうから、最初の距離感から変わってしまって、面白みも変わったり消えていったりするんでしょうね。
 面白がられるような「ズレてる奴」もいいんでしょうけど、面白くできる「ズラせる奴」であったほうが楽しいんじゃないかと思う、そんな月曜日の夜でしたとさ。