キスでころしてくれないか

 CBCラジオ「ダイノジのキスで殺してくれないか」(通称:キスころ)、第一回ハガキ職人オールスター大喜利大会。そして、9月いっぱいでの番組終了の告知。自分の中に来る不思議な感覚。こんな感覚は前にもあった。T.M.Revolutionの封印時の、金曜一部のオールナイトニッポンの終了時、ゆずのオールナイトニッポン終了時、西川貴教のオールナイトニッポン終了に伴うスタッフ変更による、構成作家石川氏と西川貴教のコンビの解消など…。
 どれも、とてもライブ感のある番組だった。常に生きていたし、ただただ非常にいい意味のみで無駄だった。その無駄なところから私はいろいろ学んだし、何よりたくさん面白いという感覚をもらうことができた。いろいろな事情があるのはわかるから「なぜ?」とかは思わないし、すごく寂しい、というまではいかない。ただ、何か抜け落ちた感覚がある。下手をしたら、いや、周りの方々には大変失礼だが、たいていの場合においてこれらの番組を聞いている時間の方が「面白い」(笑えるとかだけでもない面白いである)という感覚を掴めたし、たいそうなものではないが、「生きている」ような感覚があった。生き生きとしていた、しているように思う。「トリビアの泉」ではないが、無駄なことでいきいきとするのである。
 「キスころ」について。「ダイノジのキスころ」で、ダイノジ大谷ノブヒコの話や音楽、キスころファミリーのみなさんの雰囲気に影響を受けた。この番組を聴いて、僕はシロップ16gというバンドを知ることができた。つい最近においても、この番組でサンボマスターを聞いて、すばらしく思えて購入までいたったし。すばらしい音楽たちと触れる機会も増えた。人の生きるとか死ぬとかも、芸人のくせに話してくれるし、いろんな面で興味深かった。
 まぁ、いろいろ思うところはあるけれども聞いてすぐなのでまとまってもいないし、別にこの感覚はまとめる必要もない気もする。
 まだ祭りは終わっていない。終わるまで素直に番組に付き合って、素直に笑えればそれで十分だし、悲しまずにそのまま楽しむのがきっとあちら側の方々も望むことなんだろうから、そうしますよ。なんか偉そうな自分の文章がちょっと嫌ですね。